
始めまして。スパームです。
このサイトを見ているということは男性不妊の男性か、男性不妊の旦那様がいる奥様がほとんどだと思います。
はじめに私のことと、このサイトを立ち上げた理由をお伝えしたいと思います。
精子がたった50万しかいない高度乏精子症と男性不妊者の気持ち
「精子が50万くらいしかいません。これでは妊娠は厳しいです。乏精子症です。」
この言葉は忘れられない。まさか自分が男性不妊であるなんて微塵も思っていなかった。
元々テレビをあまり見ない私ですら、たまに不妊や男性の精子が衰えているという情報は耳にしたことがあるし、芸能人が妊活をするなんてことも聞いたことがある。
その時は「へーそうなんだ。大変だな。」程度にしか思ってはいなかったが、いざ自分が男性不妊だと突きつけられると気が気ではなかった。
大袈裟かもしれないけど、男性であることを否定されているような、そんな気持ちでした。女性であれば恐らくもっともっと辛いと思います。
それこそ女性であることを否定されているような気分になるでしょう。
これは実際に不妊という状況になった人しか気持ちはわからないと思います。
妊娠については正直、高校生レベルの知識しかありませんでした。本当に基本的なことです。
乏精子症であると診断されるまで、私も妻も当然のように妻が不妊症かもという一貫した気持ちでいました。
この「当然女性が不妊症である」という考え方が今の現代では間違っていたんですね。
今や男性不妊も問題視されていて、不妊の半分は男性が原因だということを私は知りませんでした。本当にごく一部であると思っていたのです。
乏精子症であると診断されてから、ショックと共に妻への申し訳ない気持ちが溢れてきました。
何度も不妊外来に行き、検査をしてタイミングを図って子作りに挑戦してきたのに、蓋を開けてみたら自分ではなく旦那である私が原因だったのですから。
辛い不妊期間と子供がいないことへの不安
結婚から8年。結婚当初はお互いの仕事が順番のように忙しくなり、夫婦生活も次第になくなっていきました。
まだ子供はいらないからまずは二人で色々な所に遊びに行きたいと思っていたこともあり、子作りは後回しになってしまっていたのです。
そろそろ子供が欲しいと思い始めてから2年経っても妊娠はありませんでした。その頃妻だけが不妊外来へ足を運んでいました。
次第に夫婦仲もぎくしゃくするようになり、仲の良かった私たちも喧嘩をする回数が増えていきました。
不妊で悩んでいる夫婦は仲が多少悪くなるのは致し方ないことであると思います。
お互いが不安で結果がでないことへのイライラと焦燥感。それをぶつける相手がパートナーしかいないからです。
ぎくしゃくした感じを残したまま、私たち夫婦はセックスレスになり、私は勃起維持をすることが難しくなっていました。
私が35歳になった頃、急に子供がこのまま出来ないかもしれないという不安というか焦りが芽生えてきました。
そして普段そういう会話をあまりしてきませんでしたが、少し真剣に話し合い、不妊外来に行ってみようということになったのです。
初めは妻一人で不妊外来に行っていました。今思えば、初めから夫婦2人でいけばよかったと非常に後悔しています。
毎月行っていたわけではありません。仕事の合間合間でタイミングがいい月に不妊外来へ足を運び、検査や何度か妊娠しやすい処置を受けタイミング法で挑戦していました。
仕事が非常に忙しい妻にとってはとても大変で辛かったと思います。
上で話したように、私は勃起維持がなかなかできなくなっていて、最後までできることが少なくなっていました。
完全に自信を喪失してしまったようでした。
悪い事の連鎖
そんな中、お互いの家族に不幸が連続で訪れました。
皆さんもおそらく人生で経験しているかと思いますが、悪いことというのは連鎖するのです。
何もいいことがない時期というものがあります。まさにその時期が人生で一番辛く苦しかった。
妻の家族が他界し、妻はこれ以上ない程の絶望に陥りました。精神科にも通うほどの内容でした。
その3か月後、私の父が急死しました。心筋梗塞という今まで疑ったことすらない突然死でした。
長男である私は父の葬儀中、孫を見せてあげられなかったことを心から悔やんでいました。
まだ見ぬ我が子と一緒に嬉しそうにしている父の顔が頭から離れませんでした。なんて親不孝なんだと。もっと早く子供を作っていれば。何度もそう思いました。
お互い仕事がある中、妻は精神的に参っていて、私は父の死から急に家の中心となり、家の事や町内の事、葬儀や四十九日など子作りどころではなくなっていました。
それから数か月して、お互い少し落ち着いた所で、子供のことについて再度話し合いました。
「この悪い事だらけの現状だけど、子供が出来たら少しは良くなるかな?」
「子供が目の前にいたら落ち込んでいる時間も減るかな?」
そんな思いで2人で不妊外来へ行ったのですが、突きつけられた内容は「乏精子症」というものでした。
私はショックで言葉がでませんでした。
もう1つショックなことがありました。私の後に結婚した妹夫婦が妊娠したのです。普通でしたら当然喜ぶべきことです。
私たちの結婚から6年後に結婚し、妹の夫は10歳上の40台でした。
表向きは当然喜んでいましたが、しかし、心の中では複雑な気持ちでいました。私も妻もです。
これは想像すればわかる気持ちかと思いますが、同じ経験をした方でしたら痛いほど気持ちがわかるのではないでしょうか。
後から結婚した人に妊娠で先を越されるという気持ちは男性よりも女性の方が辛いと思います。
自分の妹ですらこんな気持ちになるのですから他人だったらと思うと苦しくなります。人間てなんて醜いのだろうか。
後から聞いた話ですが、妹夫婦も結婚後すぐに不妊治療をしていたそうです。お互い頑張っていたんだね。ごめんね。
断固たる決意から奇跡的に妊娠した経緯
男性不妊へのショックは当然ありましたが、年齢も年齢、悠長に待ってはいられません。
妻と私は今の不幸の連鎖をとにかく断ち切りたいと願っていましたのでどんなことをしてでも子供を作るという決心をしました。
私はその日からとにかく情報をまず集めました。
乏精子症という精子が少ない症状はもちろん、その改善方法、精子の運動率を向上させる方法、精子の奇形率を下げる方法などなど。
できることを1つ1つ実践して自分のライフスタイルに合った効果的と思われることを試していったのです。
自然妊娠であれ、人工授精であれお互い構いませんでした。
もちろん自然妊娠で子供を授かれるのが一番の流れですが、私の状況と妻の精神的な判断からなんでもいいから子供が欲しいと思うようになっていました。
長々続けていきたくないし、早く子供が欲しい。その一心で私は精子を増やして精子の運動力を上げる努力を毎日続けていきました。
その甲斐あって精子の数は次第に増えていきました。初めはたったの50万からのスタートでした。精子の活動力も平均を下回っていました。
妊娠に最低限必要な精子は1500万と言われています。
50万から200万へ上がり、400万、900万、そして2000万まで精子の数が増えたところで奇跡的に妻が妊娠したのです。
妊娠までの間に妻の祖母が他界していました。不幸が続く中、突如現れた光に私たち夫婦は喜び方を忘れていたように言葉なく抱き合いました。
この瞬間は何にも代えがたい瞬間だと思います。今までの苦労は報われたという言葉がぴったりでした。
妻が不妊治療を始めて約3年後でした。
しかし出産までも長い道のりでした。妻は切迫早産になり2度の入院をしました。
2回目は出産するまでという数か月という長い入院となりました。女性は妊娠中、精神的に不安定になります。
妻は元々家族の突然の不幸な死によって精神的に疲弊していた中での妊娠です。
どうしてもこの子を産みたいという思いと共に、自らの命を絶ちたい衝動にも何度も襲われたそうです。
これは本人の意思ではなかなかどうすることもできないことなのでしょう。
結果、帝王切開での出産でしたが、今では長女も無事1歳になりました。私たちはこれから2人目を目指してまた妊活を始める予定でいます。
もちろん、私の男性不妊が解消されたわけではありません。妊娠が判明して出産し、子育てをしている間、私は精子力を上げる努力を同時にはできませんでした。おそらく、今では元に戻っていると思います。
このサイトを立ち上げた理由
このサイトは私が男性不妊を克服するモチベーションを維持するため、今までの知識を頭の中で整理して実行に移し続けていくため、同じ境遇の旦那様をお持ちのあなたに男性不妊について説明し、旦那様と一緒の不妊治療の手助けをしたいため、そして同じ男性不妊という境遇のあなたに自信をとり戻してもらい、苦しんでいる奥様と共に子作りを諦めないで欲しいために作りました。
1つでも参考になり、少しでも男性不妊への理解を深め、たった一歩でいいから夫婦一緒に不妊治療をスタートする後押しになれば幸いです。
私が男性不妊を克服し、奇跡的に妊娠・出産まで至った方法はこちらになります。